僕が真正右辺になった過程をお話しします。
右か左かは学校、テレビ、親からの影響です。
大多数の日本人は左辺で、僕も24歳まで左辺でした。
95年に上海へ行き、その後東南アジアを回って、世界に対応できない自分を発見しました。
思想が狂っているから対応できないわけで、藁をも掴む気持ちで本屋へ行き、渡部昇一先生に出会いました。
渡部先生は僕の狂いを修正して下さいました。
一気に10冊ほど読み、一気に右旋回しました。
受け入れ難い理論が次々と襲いかかってきましたが、「食べ物の好き嫌いを言うな」という母に育てられたせいか我慢して飲み込むことができました。
その後数年、渡部先生の理論を温め続け、満を持して外国へ打って出ると連戦連勝でした。
世界に対応できる自分へ成長していたのです。
「嫌いな物も残さず食べなさい」
人は軍隊教育と笑いますが、僕の子供には心を鬼にして言い含める予定です。
大きな人参を飲み込めるなら、嫌いな思想も、嫌いな上司も、嫌いな外国も飲み込める、大きな人間になるという狙いです。
ちなみに、大きな人参は食べたふりしてトイレで吐いていました。
子供時分の話です。
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