教育は無意味と言った舌の根も乾かぬうちに矛盾する話です。
家柄、貧富、親の天才凡人は関係なくて、生まれる子供の9割は凡人で、優秀なのは1割。教育は無意味と言いましたが、いやいやそうじゃないよ、という事例があります。
ユダヤ人を見てください。
世界人口のわずか0.2%しかいないユダヤ人がノーベル賞を20%取っているのです。発現率が他人種の100倍です。
この事実をどう見るか。
日本人だろうが、アメリカ人だろうが、ユダヤ人だろうが、中国人だろうが、タイ人だろうが、生まれた時の能力差などないというのが僕の確信です。
生命40億年の歴史的記憶からなるプログラムを全人種が標準装備しているからです。
その後どの言語を学ぶかというのは大きいと思いますけど。例えば日本語や英語なら世界最先端の研究にアクセスできます。これが例えばアフリカのどこか貧しい国の言語だとそういうわけに行きません。
生まれた時の差はなくても、どの言語を習得するかで大きな差がつきます。
まず言語を学び、それから専門的なことを学んでいくのですが、これは自発的にやらないと意味ないです。学校を出たら学びを一切放棄する人がほとんどです。自発的ではなかった、学校の成績のためにやっていたという証拠です。
学ぶと言っても学校教育だけが学びではないのです。学校以後、何を学ぶかというのが大きいのです。学校を出た後の人生の方が長いですから。
具体的にどのようなことをすればいいかと言うと、繰り返しになりますが、小中高校には行かせずに、読み書きそろばんを公文で学べばいい。
午前中だけみっちり勉強して午後はピアノなり、絵描きなり、小動物の世話なり、スポーツなり、好きにすればいい。
基本が身についたら専門的なことを学びたくなるかもしれません。そしたら大学ですね。
その後僕が親なら世界旅行に行かせます。なるべく地べたを這うような旅行です。コースを変えて地球2周ぐらいさせたい。
100か国ぐらい訪問すれば、すごいやつになりますよ。
18歳から4年ぐらい行かせるとして、それまでに英語をペラペラにしておくのは必須です。
英語がほとんどできなくても行く人は行くけれども。
それも才能といえば才能ですね。「日本だけで十分」と言って頑なに日本から出ない人もいますから。
そういう人は学校で英語を強制されて嫌になっている可能性が高い。偏差値のための詰め込み勉強なんかやるから嫌になってしまうのです。
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