いまだに「学校へ行け」と思考停止している人がいる。
学校が大事なわけではなく、「勉強」が大事なのです。
勉強しなければ「文盲」だから。
現代は子供が労働に使われる時代ではなく、子供は金持ちならぬ「時間持ち」
その時間をどのように使っていくかという問題。
思考停止して学校に丸投げするか、独自に選択するか。
投資で言えば、考えたくないから投資信託を買うのか、よく考えて個別株を買うかの問題に似ている。
脱線した。話を戻します。
7歳の子に独学せよと言っても無理だと思いますが、低学年(に限らず)は公文へ行けば良い。
国語、算数、英語の3教科やればいいでしょう。
午前中(午後でもいいが)はみっちり勉強し、午後は遊びまくればいいです。
勉強の他にやりたいことがあればサッカーなりピアノなり絵描きなり小動物の世話なり好きにすればいい。
親は独自にカスタマイズです。
国から与えられた興味もないカリキュラムをこなすのではなく、子供の特性に合わせて好き勝手にカスタマイズすればいいのです。
「ウチの子何が好きなのかわからない」という親は観察力不足。
学校に丸投げして思考停止じゃダメだと思いませんか?
もっとも、親に観察力がなく、指導力もなく、日中見てやれる暇人でもなかったら無理ですが。
僕の子供には以上のような学びを与えるつもり。
思考停止の連中は「学校へ」と言うのでしょう。
「子供の才能が」という以前に親が思考停止に陥っているのです。
子供の世話なんて嫌だという感情が見え隠れしていますね。
最低限の学びが終われば何か専門的なことに興味が湧いてくるかもしれません。
プログラミング(これは独学可能ですが)、化学(これは実験室を作ってやればいいですが)、解剖などなど。
「これは独学は無理だ」「先生につけてやらねば」と思えば初めて学校の選択肢が浮上してくるのです。
小、中、高、大の先には奴隷労働の地獄が待っているのによく「学校へ」なんて言えたものだな。
地獄を知らない人の意見には耳を貸すな。
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